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福岡高等裁判所 昭和59年(行コ)12号 判決 1985年4月24日

控訴人(原告) 中村好光

被控訴人(被告) 長崎市長

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は、控訴人の負担とする。

事実

控訴人は「原判決を取消す。被控訴人が、昭和五八年二月二五日になした長崎大水害に対する義援金の内金一億一、〇〇〇万円を原判決別紙配分基準に従い配分するとの処分は、これを取消す。訴訟費用は、第一、二審を通じて全部被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は、主文同旨の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述及び証拠の関係は、次のとおり付加するほか原判決事実摘示(別紙配分基準を含む)及び原審記録中の証拠目録に記載のとおりであるからこれを引用する。

一  控訴人

別紙のとおり。

二  被控訴人

控訴人の右主張を争う。

理由

当裁判所も、本件義援金配分は、本件抗告訴訟の対象となる行政処分に該当せず、本件訴えは不適法として却下せらるべきものと判断する。

その理由は、次のとおり付加するほか、原判決理由中に説示されているところと同一であるからこれを引用する(但し、原判決七枚目表一〇行目の「(なお」の次に「、原本の存在及び成立に争いのない乙第一六号証、成立に争いなき同第一七号証と」と挿入する。)。

本件義援金の配分が地方自治法二四二条の二第一項二号の行政処分に該当しないことは前述のとおりであつて、この点に関する控訴人の別紙主張は採用できない。

よつて、同旨の原判決は相当で本件控訴は理由がないから行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第九五条、第八九条を適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 西岡徳壽 岡野重信 松尾家臣)

(別紙)

一、行政処分の範囲の拡大の必要性

現在の行政は、単に秩序維持者としての侵害行政にとどまらず、生産、分配、流通、消費等の過程において、行政指導あるいは行政サービスの形で干渉し、経済秩序に対して一定の方向を与えたり、日常生活に欠くことのできない生活物資や生活役務を給付、提供し、公害の発生源に対する規制や都市の建築規制の強化等によつて市民の生在権の確保と公共の福祉の増進を図つている。そして、こうした給付行政ないし非権力行政と呼ばれる行政作用は、質、量ともに著しく増大し、市民の日常生活は、好むと好まざるとにかかわらず、この行政作用によつて利益、不利益を受けている。

本件水害の義援金の配分もこのような行政作用としてなされたものである。すなわち、義援金の贈り主は、罹災者に対して見舞あるいは災害復旧の一助にとの意思をこめて、行政機関において適切に配分されるよう贈与したものである。そして、その配分方法によつては、市民は直接に利益、不利益を受けるのである。罹災者としては、市が当然に贈り主の意思に沿うよう罹災者への見舞あるいは災害復旧工事のための費用として使われることを期待しており、そうすることは長崎市の義務であり、そのように、なされることを要求することは市民の権利である。

行政処分の範囲については、法解釈上、拡大することができるのであり、それは現代の行政機能を考える時必要と言わざるを得ない。そうすることによつて、司法的チエツクが可能であり、裁判を受ける権利を保障した憲法三二条の趣旨に沿うものと考える。本件義援金の配分についても言えるが現在の給付行政には、立法上不備な点が多々あり、行政の違法性、不当性を追求するための明文の規定を欠いているのが通常である。然し「訴が不適法であるといい得るためには、単に出訴を認める旨の明文の規定がないということだけでは足らず、むしろ、反対に、出訴を許さない旨の明文の規定があるか、または、立法の趣旨に照らし、そのように解し得るものであると同時に、それが憲法三二条の裁判請求権を不当に制約するものでない合理的根拠のある場合でなければならない。」(最高大判昭和四一・二・二三民集二〇巻二七一頁における入江裁判官の反対意見)のである。本件において、強いて行政処分を狭く解して、裁判請求権を制約する合理的根拠は全くない。

二、原判決に対する批判

原判決は、義援金の贈り主と地方公共団体の法律関係は行政法上の関係でなく、民法上の委任あるいは準委任契約であり、地方公共団体が配分する行為は、委任或は準委任契約の債務の履行にすぎず、本件処分は行政処分といえないとする。

まず第一に義援金の贈り主と地方公共団体との関係を委任ないしは準委任契約と把えることは困難である。贈り主は、地方公共団体に義援金を寄託したのではなく罹災者に対する見舞金あるいは災害復旧費用に使われることを条件に贈与したのである。贈り主らは、委任あるいは準委任契約に基づく権利を主張する意思もなく、地方公共団体もそれに基づく義務もない。すなわち、贈り主らはその配分が如何に違法不当なものであつても私法上、損害賠償請求などの権利を行使する意思は全くもつていないのであり、現実にそれは不可能に近い。地方公共団体としても義援金は「公金」として管理しており、それを贈り主に返還したり、事務処理についての報告の義務を贈り主に負つているとは考えていないのである。委任又は準委任と考えるのは事務処理という点に注目してなされた解釈と思われるが実態にはそぐわない。むしろその使途の制約を受けた負担付の贈与とみるべきである。

第二に仮りに贈り主との関係が委任又は準委任であり、地方公共団体が義援金を配分する行為は一面債務の履行であつたとしても、他面罹災者あるいは市民に対する関係においては行政行為にほかならない。一つの行為は、私法上の行為と行政法上の行為と両面において、把えることは可能であり、そうすべきであると考える。従つて、本件処分は、私法上の行為であつて、行政行為とは言えないとする原判決の解釈は不当である。誰が考えても明らかなように、本件義援金の配分が贈り主と地方公共団体だけの私法上の関係であつて、どのように配分されようと、贈り主から、その配分方法を争つて訴訟でも提起しない限り自由であるという結論は不当である。本件義援金が「公金」とされている趣旨を今一度考えていただきたい。

三、むすび

控訴人としては、原判決の説示する理由では到底納得できない。現在の行政機能について充分に検討されて、憲法三二条地方自治法二四二条の二の一項二号の立法趣旨を生かすため本件処分を「行政処分」として訴訟上その違法、不当性をチエツクする道を開かれることを切に望む次第である。

以上

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